なんか、引き摺り過ぎかも。
自重しないといけないような気もしたけど、「エヴァンゲリオン」とか相当引き摺っていたし、もしかしたら今も引き摺っているのかもしれない。
そういえば、こないだ、「いい加減自分が30歳になるまでに『エヴァンゲリオン』は満足のいく形で終わってほしい」みたいな話を聞いて、結構切実な問題だよな、と思った。自分らの世代はなんせ10代と20代のほとんどの時間で、エヴァが変な形で燻ってるんだから。まぁ、そういうのはどの世代も何かしら有るのかもしれないが。
なんか、引き摺り過ぎかも。
自重しないといけないような気もしたけど、「エヴァンゲリオン」とか相当引き摺っていたし、もしかしたら今も引き摺っているのかもしれない。
そういえば、こないだ、「いい加減自分が30歳になるまでに『エヴァンゲリオン』は満足のいく形で終わってほしい」みたいな話を聞いて、結構切実な問題だよな、と思った。自分らの世代はなんせ10代と20代のほとんどの時間で、エヴァが変な形で燻ってるんだから。まぁ、そういうのはどの世代も何かしら有るのかもしれないが。
というわけで『パンダコパンダ』を久しぶりに観た。懐かしい。
しかし、『パンダコパンダ』を改めて見直さなければならない。
下地みたいなものは『パンダコパンダ』も『となりのトトロ』も『崖の上のポニョ』も似ていると思うんだが、舞台となる時代背景への解釈が『崖の上のポニョ』だけ突出して歪んでいるんだよな。一応、『崖の上のポニョ』が『パンダコパンダ』同様に30分程度の作品だったら、ここまでおかしなことにならなかったんじゃないか、という可能性は提示してみようか。
『崖の上のポニョ』を観た。すごい。
ネタバレにならない程度にざっくり感想を記してみるが、ポニョを純粋な気持ちで見たい人はここでお別れ。
展覧会に行ってきたのだった。
「キッズプログラム」と子ども向けを謳っているからか、なんか不思議な展示で、何かの意図を持って、一定のところで留まっている感じだった。今年はハイペースでICCに行っている。去年は2回しか行かなかったのに、もう3回目。
を見た。非常に良かった(終盤の脚本はちょっとアラがあるような気もしないでもない)。
しかし、見終わった後に大変な精神的辛さが自分を襲い、二度と見ないと心に決めた。
辛くて見れないアニメ映画と言えば『耳をすませば』があるが、見終わった後の辛さは別のもののように感じられた。うまく説明できないので、ここは敢えて靴下のニオイに例えてみようと思う。
耳をすませば→靴下のニオイをかいだら、すごくニオイが強かったので辛い
時をかける少女→靴下のニオイがしてしまうこと自体が辛い
といった感じではないだろうか。異論は認めない。
http://www.vimeo.com/1332081
に行ってきた。上の動画は谷口くんのプレゼンテーションの最後の3分間。
自分は途中から来たので、ダウヂング同好会のライブと谷口くんのプレゼンテーションの冒頭を聞き逃してしまったのだが、聞いた限りの印象だとダウヂング同好会の二人がかなり煽っていた。芸術は手品じゃないんだよ、と。
あと全然関係ないんだけど、城さんがプレゼンテーションの中でAEOの動画を見せてくれて、そこに映っている山塚EYEのパフォーマンスが「これ20年前の映像だよ」と言われても全く疑わないものだった。悪い意味じゃなくて、かなりすごい。
前者。昔、自分が大島先生に言い放った暴言を思い出した。あれは暴言じゃなくて、至言だったのか!
後者。自分はそんなに現代美術に詳しい方ではないので、あのようなオムニバス的な見せ方がちょうど良かった。個人的にはテレビで放映されたターナー賞の受賞式の模様を録画した映像が割と興味深くて、M-1とか、往時のレコ大のような趣があってよい。日本ではフジサンケイグループが高松宮記念世界文化賞をバックアップしている関係で、その辺りのメディアで特集が組まれたりするが、受賞者が神レベルの大御所になりがちだし、受賞したからといって展覧会があるわけではないので、いまいち刺激が少ない。
さんざん口酸っぱく言われていることだと思うが、ターナー賞も含めてクールブリタニカ前後の潮流や、イギリスにおけるそれらの受容のされ方は非常にうらやましく思う。仮にそれが空虚なものだったとしても、美術に携わっているとかいないとか、そういったことに関係なく美術に熱狂できるそんな機会があったら面白い。
2週間ほど前に、およそ1年ぶりにmixiで日記を書いてみた。内容は近況について。
1年分の近況を記したくせに、まったく何をやっているのか分からないという有様。
自分はmixiではかなり古参の部類に入ると思うのだが(id10000ちょっとあたり)、サービス開始以来、基本的に進化が感じられないので、いつの間にかすっかりご無沙汰となってしまった。
今回、日記を書いた後に「足あと」を見て気づいたのだけど、思ったよりアクティブユーザーが多い。しかも、地元あたりの友人たちは今ごろになってmixiに参加し始めているという事実。これが情報格差か。
小学校の同級生で建築家をやってる子が、「ブログよりもコミュニケーションツールとして有用」と言っていて、まぁ確かに例えば単一のプラットフォームで自分が持つあらゆる方向のつながりを俯瞰できるなどという側面を見直せば、まだまだ個人向けメディアとして有効に活用できそう。
簡単に。
『東京湾のためのスケーリング』というのは、そのタイトルからしてそうであるようにやはり外向きだと思うのです。
個人的には、作品のクオリティなどとは別にやはり個人的な問題というか内面がうっかりはみ出てしまった方が、やはり好き嫌いという二元論においては判断しやすい(判断してもしょうがないんですけど、とりあえず)。
それで、『記録の形』のどこにそういうところを感じたかというと単純にそれは、歩いていることでした。声を大にして指摘するまでもなく、自動車で移動するよりも、歩いた方が、意識や無意識といったものが、ふとしたところで角を曲がったり、道の中をフラフラとしたりというかたちで現れやすいように思います。それをあの機械がうまく表現していた。そこが非常に好きでした。今回の話は本当に単に好き嫌いであって、例えば『東京湾のためのスケーリング』では移動手段が自動車ですが、自動車が移動するスムースでフラットな感じを今回はきちんと機械で演出していたところはやっぱりさすがだと思うし、意識が外向きになっているせいか、パッと見の印象は研ぎすまされた印象で、細部の独特な仕上げもあざみさんらしかったと言い切れます。